小笠原のサーフィン仲間のチャッピーがサーフィン中の事故で死んだ、、小笠原の伝説のサーファーになってしまった。(小笠原トミージーワールド)

イルカツアーを小笠原から世に初めて送り出したラオアドベンチャーツアーズ。サーフィンのパイオニアであり先輩である宮川典継さんがオーナーで、私とチャッピー(石井祐一)はそこで働いていました。彼はイルカツアーがメインで私はカヤックや陸がメインだった。

チャッピー

彼は10数年前に独立してシートリップというイルカツアーを立ち上げ、この夏も元気にツアーをこなしていて、カヤックツアー中に沖でつい先日も遭ったばかり。サーフィンもいつも1番デカイのに奥から行く奴でグーフィフッター(右足前スタンス。)のサーファーの基準だった、、、ちょっとジジイな私はちょっと安全な横から乗っていた。陸でもチャッピーがボートのメンテナンスしたりしている時等良く合っていた。

チャッピーのボート

9月18日午前中、入港中だがたまたまツアーに空きが出て私は久々台風の波を味わっていた。気持ち良い疲労感でシャワーを浴びて出たら電話が入った。島の女性ボーダーからの電話だった。「信じられないと思うけどチャッピーさんがサーフィン中に亡くなりました、、診療所にご遺体があり会えるので行って下さい」現実が把握出来なくて頭の中が真っ白になった、、ウソだろーって思った、、、直ぐに診療所に行った、既に沢山の島のサーファーが集まっていた。私は診察室で横になったチャッピーと対面出来た、よく知る家族や親しい仲間が彼をとり囲み泣いていた。綺麗な遺体だった、まるで生きているようだった。岸に叩きつけられる前に回収されたのが幸いだったのだろう。手を取るとまだ柔らかくまだ冷たくもなく、生きているようだった。「お前、何寝てんだよー、起きろよ〜、寝てんじゃね〜よ〜!」と怒鳴って頭のチャクラ押したけど生き返らなかった、、、、だってちょっと何かやれば復活しそうなくらいに、まだ細胞は生きていた、、、。100人以上は来ていたが謁見は終了した。ハイクラスなデカイ波の立つほぼチャッピー専用のポイントで、人間の3倍くらいある大きな波で巻かれサーフボードが後頭部に当り即死状態だったよう。彼が弟子のようにしていた仲間が寸前まで沖のボートからサーフィンする彼を見ていたらしいが、そのままツアーに戻り、その後ダイビング船に遺体は回収されたそうだ。葬儀も盛大だったがその後サーファーの皆でハワイアンスタイルの散骨式をやりました。

教会にて

葬儀には600人の人が集まったそう。内地からもかなりの人数が駆けつけたそうで、彼のビデオ等が流されさながら芸能人の葬儀みたいでした。

扇浦海岸
50本以上あった。

扇浦海岸にセレモニー会場が設けられ、PA等も用意され懐かしいサーフィンミュージックを流していた。サーフボードは50本以上ありこの日も100人以上の人が集まりました。

フラダンス

チャッピーの長女のナルちゃんとフラの先生が島人の生演奏でフラを踊りチャッピーに贈った。小笠原はハワイアンも開拓に携わっていて、ハワイアンスタイルが似合うとあらためて思った。チャッピーは2人の娘を育て上げ、波乗りにやっと集中できる状態で気合入りまくっていたみたい。ごく最近娘のナルちゃんは結婚したばかりだった。

パドルアウト

皆でパドルアウトしてチャッピーのラストボードを中心に皆で輪になり、Tリーフを繋いだ。

皆で輪になった

奥さんが掛け声をかけ散骨し、皆でチャッピーを天国に送った!

散骨

大勢のサーファーが「チャッピーありがとう〜!」と水飛沫を上げた。壮観だった。小笠原でサーフィン中に亡くなった始めての伝説のサーファーになっちまった。

こんなに沢山の人に見送られてチャッピーは幸せだったと思う。「海で死ねればサーファーの本望。」だとサーファーの俺も思っていた。本人はそれでいい。しかし、いきなりいなくなると、家族を始め周りの者はツラいよ、、、まだ信じられないし、、いつも海にいた奴がもう海にいないと思うと寂しく悲しい。

供養塔

チャッピー!あの世でまたサーフィンしようぜ!いー波探しとけよ!!合掌!

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